[OPNION] 踏切事故の美談化と表彰

村田さんの行為は誰にでもできることでもないし、人命を救ったことは称えられるべきことであるのは間違いない。ただ、安倍総理が安倍総理の名前で紅綬褒章を贈ることにはちょっと違和感を感じた。

村田さんは、老人を救った上で自分も助かるつもりで最後まで頑張ったはずだ。他人の命を救った行為は称える一方で、ご冥福を深く祈ることが正しいことだと思う。
表彰されたら、難しい感情を遺族は抱く可能性はないか?

「踏切救助の女性に総理感謝状」(NHK)

他人のために自らの命を投げ出す行為は美談ではない。1945年ごろまでの日本には、そのような行為が美談であるとされていたこともあるが、もしかして安倍総理はお国のために命を投げ出すような人たちが居る日本が美しいと思っているのかもしれない。

他人を救うことができずとも、自分が死なないことが家族や周囲の人間を救うことでもあるのだ。それは忘れちゃいけない。

2001年の新大久保駅での転落事故では、泥酔して線路に落ちた乗客を、日本人男性と韓国人留学生が助けようとして失敗し、三人とも電車に轢かれて亡くなったが、当時の森総理が同じ表彰を二人に贈っている。
だが、表彰された日本人男性の母親(故人)は表彰されたことを快くは思っていなかったと周囲の人の証言にあった。表彰されたって、その人は帰ってこないのだ。そうっとしておいてほしかったと。
表彰されて嬉しいわけでもないし心が晴れるわけでもない。事故の原因となった要救助者への複雑な気持ちもあるし、誰かを責められるものでもない。
それを「国民の心に刻むため」といって表彰されたら、戦前の皇国民でもなければ喜べないのではないか。

娘、息子が誰かの命を救ったら、それは誇らしく嬉しいことだ。ただし、それは娘も息子も無事に帰ってきたらの話。
実際のところ、そのような本当の美談に対しては総理大臣は表彰したりしない。
例えば台風の大雨で増水した淀川に落ちた小学生を救った中国人留学生には安倍総理は表彰していない。大阪府警が表彰したというニュースは聞いた。

自らの命の危険を顧みずに他人の命を救った、そういう話は東日本震災で数えきれないほどあったことでもある。その中には命を落とした人も少なくない。
もちろん、それらの人たちは表彰されることも無かった。

しかしながら、まだ安倍総理が「称えたい」と思っての事ならばまだ良いほうなのかもしれない。

安倍総理と言えば、第1次政権時代に、子供たちが河原のゴミ拾いボランティアをしてすっかりきれいにしたところに現われ、安倍総理がごみを拾うために拾ったごみをばら蒔かせた、という週刊誌の報道があった。
週刊誌の報道が真実ならば、安倍総理は「子供たちのボランティア」という美談を政治利用するためにそこに現われたわけである。(そもそも一国の総理が選挙の時にゴミ拾いボランティアの現場に現われた時点でおかしいのであるが)

つまり、村田さんの行為を美談化し、それを自らの人気アップにつなげるために表彰したというのならば、これは最悪の事だ。
だから本当に安倍総理が村田さんを称えての表彰だと願う。

村田さんのご冥福を深くお祈り申し上げたい…。