池田信夫の沖縄問題についての提言が酷すぎる件

池田信夫の「基地問題を沖縄問題から切り離せ」というブログ記事の内容の間違いがひどい。
沖縄を差別し、いやな基地を無理に押し付ける考えしかみえず、池田の言う日本の安全保障のために犠牲になっている沖縄の人たちに対しての感謝も謝意も、何も感じられない。こういう考えの人たちが沖縄に基地を押し付けているのだと思うと、ますます沖縄から基地を追い出したい気持ちが強くなる。

池田信夫が掲載している終戦直後の普天間基地の航空写真と、現在の写真を比べて「まわりにほとんど住宅はない」と言っている。

この写真を国土変遷アーカイブでみてみよう。

池田信夫が、縮小して解像度を低くしてわかりにくくした写真の元と思われる1945年12月10日の写真。ぜひ、200dpiで見たほうがいい。

1945年8月18日の写真はもっとはっきりしている。これは滑走路横の少し南側に位置するところの写真で、12月10日よりもっと終戦に近い日になっている。。

これを見るとわかるように、もともとそこに存在していた集落が普天間飛行場建設のために削られるようにつぶされた後がわかり、境目付近に集落の後がはっきり残っている。

この地域は米軍が上陸してきたポイントである嘉手納・北谷のすぐ近くである。米軍は上陸前に沿岸部を埋め尽くすほどの艦隊を並べ、鉄の暴風とも言われる絨毯砲撃を加えた。
豊かな田園地帯であったこの地域は木っ端微塵にされ、住んでいた人たちも北部に南部にと離散した。
死んでしまった住民も多いが、かろうじて生き延びた住民が戻ってきたころには広大な普天間基地が建設されていて、故郷に帰ることができず、フェンスの向こうの故郷に思いをはせつつその周囲に住み着いたのである。

普天間基地の傍ではないが、私の祖父母は普天間近くの北谷に住んでいた。北部に逃れた後、故郷に戻ることは許されず、数年間北部の集落に強制的に疎開させられていた。
やっと帰る許可が出たと思ったら、故郷は広大な基地に接収されていて、米軍に住むように命令されたのは基地近くの急斜面の原野。そこを村人たちと一緒に開拓し、藁葺きの小さな家を建てて住んだ。普天間基地がある場所にすんでいた人たちも同じだ。

米軍は占領する前に、偵察のために航空写真を撮っている。
これは1944年9月29日の宜野湾上空のものだ。

この写真にはわかりやすいように私が補線を入れた。赤が1945年12月の普天間飛行場の位置、黄色が現在の普天間基地のエリアである。今の航空写真と比べながら引いてみた。なお、この写真は少し斜めに撮影されているので、縦横の比率は実際と少し違う。
さて、この写真を見れば、基地の周りに人が集まってきたのか、住んでいた人を押しのける形で基地が広がったのか考えるまでもない。普天間基地がある地域には田園と村落があったのが見える。この地域は、北部の羽地と並んで沖縄の重要な穀倉地帯だった。

1945年頃の総人口が約50万人で終戦直後は約30万人。それが現在は総人口140万人になっている。終戦直後からすると、実に4倍強の人口となっているわけで、とりわけ中部は人口増加が突出していることを考えると、集まってきたのではなくてもともと住んでいた人々が自然増加したと考えるべき。

まるで何もなかった空間に普天間基地が作られ、その周りに住民がどこからともなく集まってきて、そして住民が普天間基地を邪魔に思ってどかしたがっていると考える池田信夫の正気を疑ってしまうし、それに同調する人が少なからずいるのが信じられない。

北部振興と補償金

辺野古への基地移設を受け入れさせるために投入された北部振興策は数百億円というのは、おそらく事実。
ただし、国はこれまで北部振興策と基地の受け入れは紐付けていないことにしている。
建前としては基地の移設があろうと無かろうと振興策として予算が投入されていることになっているのだ。
振興策と基地を結び付けては、まるで札束で頬を叩いているのと同じで悪事のようにみえるということか。
実際には振興策と基地は綿密にリンクしている。

さて、この北部振興策は問題が多い。経済的に振興することは全く無く、ほとんどが箱物や道路建設などに費やされている。
公共施設の不要な、そして豪勢な建て替え、交通量が少ないのに広い道路の建設など、ゼネコンがらみの投資がほとんど。
そして、その投資のほとんどが本土の大手ゼネコンに流れており、地元に落ちるのはわずかである。

辺野古近くに行くと異様な光景がある。街としては衰退しているのに、公民館や道路などは必要以上に豪華だ。
近くには国立の学校やIT関連施設や研究施設が立ち並ぶ。

これらがあって、地元は利益を得ているかといえば、あまりない。
新規雇用数も少なく、市外から来る人がほとんどで地元の人の採用は少ない。

ODAと同じで、国が恵んでいるように見えて、実は本土の企業に流れているだけである。
600億円を返せというのなら、まず、そのほとんどを持っていってしまった本土のゼネコンが返せばいいと思う。
その池田の言う600億円のほとんどは、沖縄の人はもらってないので。

 

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